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氷結の輪舞曲 (ヴィクトル×勇利)

 光が乱舞する。

 耳の奥で楽曲が鳴る。

 そして、視界に映るのは、唯一無二「蘇ったリビング・レジェンド」、「氷上の皇帝」という修飾語で飾られた人。

 僕の憧れで全てに等しい『ヴィクトル・ニキフォロワ』

 嫉妬したこともある、腹をたてたことも数えきれない。どうせ、彼には自分のような凡人のことなどわからないのだと、俯いたことだって。

 それでも、今は感謝している。間に合ったことに。彼と同じ舞台に立てる時期に生まれたこと、この場にいること、彼と競えること。

 この眼で、彼の演技が観られる。同じ空気を吸える、同じリンクに立っている。

 追いついたとは思わない。

 それでも、こうして手を伸ばせば、彼の背中に触れることができる。彼の声を直接聞くことができる。

 自分の不甲斐なさに泣いたあの日から、ようやくここまで来た。

 突然僕のコーチになると、僕に金を取らせるといったヴィクトル。訳がわからず、恐れ多く、それでも舞い上がっていた。

 これで僕の成績が振るわなければ、世間に何と言われるかと戦々恐々としながら、彼と並んで歩く練習場と実家の往復が、ただ嬉しくて。

 彼の期待に応えられないことが情けなくて。メダルを取ると、「愛をみせる」のだと大風呂敷を広げた会見を思い返すと、顔から火が出るけれど。

 それでも、ありたっけの感謝を貴方に。

 こうして、氷上で滑る貴方が、僕は誰よりも、何よりも好きです。

 だから、僕はこの場所を誰にも譲る気はない。

 全ては貴方と滑るオリンピックにつながっているから。

 吐く息が白い空港で、ヴィクトルは視線を巡らせた。

 すると、ゲートの向こうに見慣れた不機嫌そうな顔を見つけ、大きく手を振る。

「やっぱり来てくれたんだ、ヤコフ」

「復帰するというのは本気か?ヴィクトル」

「もちろん」

 至極当然というヴィクトルの様子に、元コーチであったヤコフは顔を顰める。もう、お前の席などないと、この身勝手男に言ってやりたい。

 それでも、そういえない事情がある。ロシアの選手層は厚い。それでも、世界を5年連続で制覇し、「リビング・レジェンド」と呼ばれるヴィクトルが突出した存在であることは間違いない。

 ジュニアからシニアに上がり、「ロシアの妖精」と呼ばれるユーリ・プリセツキーはポスト・ヴィクトルと次世代の筆頭ではあるが、それでも皇帝と並ぶにはまだ足りない。

 ヴィクトルの陰に隠れていたギオルギー・ポポヴィッチは彼の不在でようやく陽の目をみたが、それでもカナダのJJことジャン・ジャック・ルロワを追い落とすほどの力量はないという印象を与えてしまった。

 まあ、メンタルが演技にダイレクトに反映するタイプで、今回は彼女に振られた影響でいささか演技過多なところもあったが、それでもトップに君臨し続けてきたヴィクトルとは存在感が違う。

 突然、選手を辞めてコーチになるとロシアを飛び出し、シーズン中はシーズン中で、自分の不在時に選手の勇利・勝生を預けてみたり、お前はコーチの仕事を舐めているのかと勝手極まりないヴィクトルに腹を立てていた。

 二十七歳という年齢を考えれば、引退を考えてもおかしくはない。それでも、お前にコーチができるものかと、戻って来いと電話で叱りつけた。

 戻ってこないとわかると、ユーリ・プリセツキーを徹底的に鍛えて、ヴィクトルが教えているという勇利にぶつけてやろうと思った。

 そうすれば、いやでも自分がコーチに不適格であることに気が付くだろうと。

 いつまでもトップでいられないことは、コーチ歴の長いヤコフとてよく分かっている。

 それでも、まだ終わりではないと思っていたのだ。

 それなのに『コーチごっこ』で、貴重な一年を棒に振るのかと思えば、腹が立たないわけがなかった。

 GPファイナルで最下位だった時に比べて、人が違ったような演技を見せた勇利に、一応ヴィクトルも頑張っているのだなと、ほんの少し認める気になっていたというのに。

 それなのに、GPファイナル最終日に突然かかってきたヴィクトルからの電話。

 夜中の二時に電話のコールで叩き起こされ、選手として復帰するから手続きよろしくという、これまた一方的な連絡に、ヤコフは思わず受話器を投げ捨てた。

 ヴィクトルがフィギアの世界のトップでいることに疲れ、倦んでいたことは薄々気づいてはいた。

 それでも、滑るしかできない、滑ることでしか自己表現ができないのがヴィクトル・ニキフォロアという人間だと知っている。

 この男から、フィギアの才能をとれば、協調性がたりないただの傍迷惑な自己中でしかない。我儘も、身勝手も、気まぐれも、すべて許されるのは、この男が氷上で君臨し続ける≪皇帝【ツァーリ】≫であるからだ。

 氷上で滑る彼の演技と結果があるから、彼の傍若無人な我儘は許される。

 そして、彼はコーチになると言った時と同様に、唐突に再び氷上に戻るという。

「世間の目は厳しいぞ」

「そんなもの、結果を出せば掌を返すでしょ」

 突然、競技を休み半年ほどのブランクを経て、戻ってくるヴィクトルに向ける世間の目は厳しいだろう。もう二十八歳、その上オリンピック出場枠を競う年でもある。

 これで結果を出せなければ、復帰しないほうが良かったと、マスコミをはじめとする周囲は落胆を込めて堕ちた皇帝を同情の視線で見るのだろうが。

 本人はいたって当然のように、トップに帰り咲く気でいるらしい。

「そんなに甘いものではない」

「俺がそれを知らないとでも?」

 ただ、何も考えず楽しさだけで滑ることができるのは、ジュニアの一時期だけ。メダルを期待され、結果を出すことを求められ、それに応え続けて不動の地位を築いてきたヴィクトルの笑みに凄みが増した。

 GPファイナルが終わってすぐ、ロシアナショナルで選手として復帰すると言いだし、ユーリを慌てさせたヴィクトル。

 今シーズン真面目に競技に取り組んで来た選手達を馬鹿にしているのかと、一頻り怒鳴ってはみたものの、皇帝が復帰するとなれば、ロシアだけでなく、ヨーロッパのファン達もスポンサーも諸手を挙げて喜ぶだろうと想像はつく。

 やはり、不動のトップが抜けたシーズンは物足りなさがあった。

 ユーリがシニアに踊り出てきたとはいえ、GPファイナルでのJJは自滅に近かった。ギオルギーはトップを張るにはまだ足りない。

 世代交代は、上が倒される過程がなくては成立しないのだと、思い知ったGPでもあった。

 これからロシアナショナルまで、正味一週間ほどしかない。それでも間に合わせるというのだろうか。

「これから練習といっても、プログラムは、衣装はどうするんだ。用意できるのか」

「確かに、一から練るには足りないから、ショートは愛について~エロス、フリーは去年の焼き直しかな」

「ヴィクトル……」

 いっそ、こいつを締めてやれたら、どれだけすっきりするだろうという顔で、ヤコフが秀麗なヴィクトルの顔を睨む。

「さすがにアガペーは滑らないよ。だけど、あの曲が耳に馴染んでいるしねぇ。それに、勇利ってば金が取れないし。ここは一つ、お手本を示してやろうかと」

 勇利は、ヴィクトルを誘惑する美女を演じることで、『エロス』を表現した。

 だが、あれは元々ヴィクトルが考えた演目だ。誘惑するにしても、相手の視線を奪い、心を捕らえ、堕ちてくるのを待つ、ヴィクトルだから表現できる『エロス』がある。

 フリーは去年の焼き直しだが、曲と衣装は変える。それだけで印象はがらりと変わると、ヴィクトルは余裕の笑みを浮かべる。

 曲によって、演目によって印象を変えるのは、ヴィクトルの得意とするところだ。彼は貴公子にも、ジゴロにも、ギャンブラーにも、道化師にもなれる。

「獲れるんだな?」

 ユーリのコーチである自分がこんなことを言ってはいけないのかもしれない。それでも、今からロシアナショナルにねじ込んで、二位以下の結果は許されるものではない。

「もちろん、獲れたらいいなぁ、なんて気持ちで滑ったりしないよ、俺は」

 試合に出る以上、金を獲りにいく。夏から真面目に取り組んで来た他の選手からすれば、巫山戯るなと怒鳴りたい気分にもなるだろうが、あんな不甲斐ない試合じゃ、まだ譲れないなと、ヴィクトルは鮮やかに笑った。

「巫山戯んなよ、あのおっさん!年寄りは大人しく引っ込んでろっての!」

 ベッドの上で、熱で朦朧としながら、ユーリが叫んだ。

 ありえないだろう、普通に考えて。GPファイナルからロシアナショナルまで、二週間とあいてない。いくら、国内大会とはいえ、ゴリ押しにも程がある。

 準備期間は一週間あるかないか。それでプログラムを仕上げてくるか?

 ショートは本当に勇利が滑った『愛について~エロス』のヴィクトル版。GPファイナルの勇利もよかったが、流石に本家というか、色気ダダ漏れで、構成も完成度もこちらが高い。全日本に四大陸、世界選手権でこの映像と比べられる勇利が少し気の毒になるほどだ。

 そしてフリーは、去年の焼き直しと言いながら、曲を変えてきた。チャイコフスキーの〈大序曲〉1812年。演奏自体はアップテンポにアレンジして四分二〇秒ほどにまとめられている。

「やっぱり、競技復帰なんだから、高らかにファンファーレ鳴らすだろ」

 と言ったヴィクトルだが、本当にトランペットが高らかな音を響かせている。そして、今年だけでなく、来年以降を暗示するかのように曲名が〈大序曲〉

「どこが焼き直しだよ…」

 確かに、後半に四回転トゥループ三回転トゥループは去年も滑ったが、エキシビションでは滑っても試合では避けた四回転ループも入れてきて、ヴィクトルが飛ぶ四回転はこれで5種類。あげくに冒頭でトリプルアクセル+シングルループ+トリプルフリップの連続、四回転ルッツ+三回転トゥループは危なげもなく。これでもかとジャンプを繰り出し、後半になっても勢いの落ちぬまま、ヴィクトルの代名詞ともいえるフリップに、基礎点が高いルッツは、高さもあれば姿勢も美しく、加点をたたき出す。

 実際、ヴィクトルが飛ぶと、本当に軽々と飛んで見えるトゥループは、腹が立つくらいに完璧だ。

 そして、彼が滑ると観客は引き込まれる。JJも観客を味方につけるのが巧かったが、ヴィクトルのそれは次元が違う。審査員すらも魅入らせる。華麗で優雅なステップシークエンスは、フランス軍を打ち払うロシアの逆襲。

 本来、フランス軍とロシア軍が拮抗し、徐々に追い詰めていくはずの場面は、大胆にカットされてアレンジされ、あっさりとロシアが大勝している。

 クライマックスで群衆に歓呼をもって迎えられる帰還兵は、そのまま競技に復帰して勝利をつかむ男へ観客からの惜しみない賞賛だ。

「なんで、あれが出来るんだよ」

 上下、左右、軸がぶれないヴィクトルは危なげなくステップを踏み、ほとんど助走の予備動作を感じさせずにジャンプを決めてくる。ああ、これからジャンプを飛ぶんだなと、そうとわかる動作が極端なまでに少ない。

 これを焼き直しというのか、あの男は。ヴィクトルにとって、これが焼き直しなのか。

「君たちは自分達が思っているよりも無個性で凡庸だよ」

 しれっと言ったヴィクトルに腹を立てながら、それでも胸が痛かった。まだまだ相手にならないと、冷めた視線で告げられて悔しかった。

 あれから、スケートだけでなく、バレエも必死で練習したし、基礎も疎かにはしていないつもりだ。それでも、まだこんなにも差があるのか。

 ヴィクトルが滑るだけで、審査員は加点をつけると、そう言われるまで磨かれた彼のスケーティング。

 元々大きなミスが少なく、リカバリー出来ないような失敗がないのも彼の強みだったけれど、それでも基礎点が高い4回転ルッツと4回転フリップを軸に、5種類の4回転を散りばめながらジャンプばかりの印象を与えないのは、洗練された彼のステップやスピンに華があるからだろう。

 ただただ美しいと、両手を挙げてのタノジャンプも、加点狙いの小手先の技に見せないヴィクトル。

 突然、競技を休んで日本に行くと、勝生勇利のコーチになると言い出した時は何を考えているのだと腹が立ったが、こうして彼の演技を見ると何で最初から滑らないのだと余計に腹が立つ。

 JJにすら手こずって、結局JJの自滅のような形での勝ちだったGPファイナル。もし、ヴィクトルが最初から出ていれば、自分は一番高い所には立てなかったと思ってしまうのが悔しい。

 それでもユーリの口から出るのは「オレは負けた訳じゃないからなあ!」という台詞で、ヤコフと並んで座り、採点を待ちながらカメラに向かって笑顔を見せるヴィクトルに毒づいた。

 ロシアナショナル、ユーリとヴィクトル二人抱えて出場するのかと頭をさえていたヤコフだったが、ユーリがインフルエンザにかかり、ロシア大会は欠席となって、ある意味安心してヴィクトルについた。

 流石に一週間前のエントリーに顔を顰める者達もいたが、そこはそれ、世界選手権5連覇の肩書きとユーリの欠場に大会側の都合もあって認められた。

 皇帝の復帰に喜んだのはロシアだけではなく、ヨーロッパもだ。

 実際、国内大会とはいえ軽々と三三〇点越えを出したヴィクトルは二位だったギオルギー・ポポヴィッチに大差をつけて堂々の一位だ。

 本当に、これだからこいつが世間を舐めるんだと、愚痴の一つも零したい気分のヤコフだが、現状彼を倒せる選手は思いつかない。

 皆が彼に憧れ、彼と滑ることを夢見てリンクに立つ。

 紛れもなく、スケートの神様に愛され、頂点に立ち続ける皇帝《ツァーリ》が戻ってきた。

「調子良さそうだな」

 七月からのシーズンをサボっていたくせにと皮肉を込めたヤコフの台詞にも、ヴィクトルはニコリと微笑んだ。

「うん、勇利の実家って、日本式のホテルでね、ご飯は美味しかったし、二十四時間入れるスパもあって、ゆっくり出来たよ。特にあそこの温泉、疲労回復に効果があるとかで、腰や足首も調子よくてさ」

 長期温泉療養を日本では湯治【トウジ】というらしい、とヴィクトルが言うのにヤコフはヒヤリとした。

 アスリートにとって、故障はつきものだ。特に点をとるためにジャンプが必須なフィギアで、着地の際にかかる負荷は体重の数倍になる。

 小さい頃からスケートを続けている者ほど、腰や足を痛めて競技から離れる者が少なくはない。

 ヴィクトルは大きな怪我こそしていないが、それでも疲労は蓄積していたのだろう。前半の休養は、彼にとってモチベーションというだけでなく、身体的負荷の面でもよかったのかもしれないと、このとき思った。

「とりあえず、ヨーロッパ選手権かな」

 当たり前のように金色のメダルを首にかけ、ヴィクトルがヤコフを振り返って笑った。

 ヨーロッパ選手権のロシア枠は2つ。ヴィクトルと今回欠場したユーリの二人で決まりだろう。

 本当にギオルギーが不憫に思えてくるが、あと一歩が足りないのが、彼の限界なのかもしれない。同世代、同一国にヴィクトルがいるというだけで、彼の運のなさが知れる。

 これで、ヴィクトルにライバル心を燃やして相乗効果が出るだけの力量があればよかったのだが、ヴィクトルはライバルを必要としておらず、ギオルギーにはヴィクトルを意識させるだけの『何か』がない。

 トップであり続ける者が背負うプレッシャーと自負。まだ、我武者羅にトップを目指して演技するだけで、背負うものを意識したことのないユーリが及ばない場所にヴィクトルがいる。

 今のヴィクトルが負ける所はまだ想像がつかない。それでも、彼に追いつくべく、ユーリは必死で走るだろう。ヴィクトルが現役の選手でいられる時間は残り少ない。それでも、彼が引退するまでに、ユーリが互する存在になってくれればと思う。

「さて、勇利も頑張ってるかな」

 日本では全日本選手権、そして四大陸大会が開催される。流石に去年のような不甲斐ない試合をするようなことはないだろうけれど。

 世界選手権までにどこまで仕上げてくるのか、本当に楽しみだと笑うヴィクトルの底意地の悪さに、ヤコフはやれやれと肩を竦めた。

『愛について~エロス』をヴィクトルが滑っている動画を見て、勇利は呆然とした。

 元々、ヴィクトルの振り付けだった。そして彼がお手本として滑ってみせてくれたとき、ただ魅入ることしか出来なかった演目。

 そして、自分にはまだ届かない、四回転フリップと四回転ルッツがいつの間にか加わっている。

「飛べないんじゃ仕方がないだろ」と、勇利のジャンプを見てあっさりジャンプの種類を変えたヴィクトル。

 挑戦しようとする勇利に「馬鹿?」とさらりと毒舌をはいた。

「挑戦したいだけならエキシビションにして。競技で失敗して減点とか、勝つ気あるの?」

「あるよ、あるから挑戦するんだよ。僕ぐらいのレベルだと必死で練習しても全然足りないんだ」

 人の三倍練習しないとと言った勇利に、ヴィクトルは笑って「勇利ってば、本当おバカだね」とのたまった。

「あのね、地方の小さい大会じゃないんだよ、世界で戦う連中が練習しない訳ないでしょ。努力もせずに国の代表になれるはずないんだから。それで、練習量を三倍?間違いなくオーバーワークで身体壊すよ。そもそも勇利の身体は永遠に動く永久機関じゃなくて、消耗品なの。酷使すれば摩耗するの。ただ我武者羅に練習して勝てると思える程、今まで勇利は何も考えず滑っていたのかな?」

 勝つってことの意味をちゃんと考えて滑ってたのかと、ニコニコ笑いながら言われて、勇利の背中を冷や汗が伝った。

 今まで、フィギアしかして来なかった。幼い頃から近所にはスーケートリンクがあって、昔なじみのミナコ先生がバレエを教えてくれて、運良く強化選手にもなれたから、次は何を目指せば良いのか、周囲が提示してくれて、それをクリアするために練習に励めばよかった。

 目の前にいるヴィクトルという憧れがあって、あんな風に滑りたいとは思ったけれど、それでも自分らしく滑るということがわからなかった。

 ただ、スケートを楽しみたいだけなら、しんどい思いをして試合にでることなんてない。ジャッジにしても、究極彼らの好みが点数に反映する訳で。

 失敗しても技に挑戦とか、マスコミ受けは良いかもしれないけど、転倒繰り返す演技じゃ観客だって冷めるだろうに。

 4回転挑戦して回転不足とか、転倒とかで減点くらうなら、3回転完璧に飛んで加点を取れというヴィクトルに、守りにはいるなんてらしくないとすら思った。

 調子があがらず、GPファイナルでジャンプに失敗して、それでも挑戦しようとするJJの気持ちが勇利にはわかる気がしたが、ヴィクトルは冷笑を口元に浮かべて見ていた。

 GPシリーズはシーズンの前半、せめてファイナルに照準を合わせて調整しないと、予選で高得点をだしてもファイナルで転けたら一位の価値が半減すると。

 スイスのクリスあたりは世界選手権に照準を合わせて調整しているとヴィクトルは言う。

「勝つ」ことの意味が、多分ヴィクトルと勇利では違うのだろう。

 勇利とて、負けるつもりで試合に出たことはない。いつだって、勝ちたいと思ってリンクに立っている。

 しかし、世界選手権5連覇をしているヴィクトルにとって、一位になることは当たり前の既定で、自己最高得点を更新しての勝利でなくては、去年より質が落ちたと言われてしまうのだろう。

 勇利とは違って俺は反復練習は嫌い、テクニックは点を取るために必要だからやる、そんなことを口にはするけれど。

 バレエの基礎は完璧で、ストレッチは時間をかけて入念に行う。今シーズンは選手じゃないから好きなもの食べると言いながら、野菜とササミが中心の和食は残さず食べて、勇利の練習に付き合いながら二千五百から三千キロカロリーに調整していた。

 まあ、太りやすい勇利と違って、おやつにケーキも和菓子も食べていたけれど。それでも、美味しそうによく食べていたのはクリームたっぷりのケーキや餡子の和菓子ではなく、板場の若手が作る山芋と百合根で作った野菜和菓子とかだった。

 駅前の通りに沿ったアーケードにある小さな洋食屋には、いつからかメニューとしてビーツを使ったボルシチが並んでいた。

 コスト的に缶詰で悪いね、と店の主人が言いながらビーツの赤い色をしたスープをトロトロになるまで煮込んだ肉と一緒にたっぷりと深皿に注ぎ、パンとサラダ、ジャムを添えた食後のロシアンティーがついたランチメニューは、どう見てもヴィクトルのためのものだ。

 角のパン屋にはピロシキが並んだ。それも、スタンダードな挽肉に繋ぎとしてご飯を混ぜたピロシキで、クリームシチュー味とカレー味のバリエーションも加わって、結構人気だったりする。

 ヴィクトルは日本語は得意ではないので、片言英語と身振り手振りで地元の人達はヴィクトルに話しかけた。

 元々、人当たりが良いヴィクトルは、面倒だろうに地元のお祭りやイベントには顔を出したし、なぜか長谷津の観光大使なんかも引き受けていた。

 結構あっさりと長谷津に馴染んだよな、と勇利はヴィクトルがいた頃を振り返る。

 地元の人達が、勇利を応援してくれていた。商店街や駅に掲げられている横断幕。去年のGPファイナル最下位に、日本選手権のグダグダぶりには本当に申し訳ないやら恥ずかしいやらで、まともに顔を上げて通りを歩くことすら出来なかったけれど。

 それでも、もう一度やり直すなら、この町からだと、地元のスケートリンクに戻って、たまたまコピーして滑ったヴィクトルの演目がネットに流れて、それが切っ掛けでヴィクトルが有利の押しかけコーチになってくれて。

 あまりの不甲斐なさに、ヤケ食いをしてぽっちゃり体型になった勇利に、ヴィクトルが突きつけたメニューは地味なトレーニングで、とにかく痩せるまでスケートは禁止と、6キロ落として2キロ増やそうかと笑顔で言われた。

 いらない脂肪落として、必要な筋肉をつけようと。脂肪と筋肉を落とし過ぎると、骨に衝撃がダイレクトにかかるから、必要な脂肪と筋肉はつける。

 それでも、1キロ体重が増えれば、ジャンプが1センチは低くなる。それで着氷が乱れて回転不足とられたら、ただの馬鹿で間抜けだからと。

「それに子豚が滑って転んだら、競技というよりコメディー・ショーだし」

 フィギアはビジュアルも大事だってわかっているよね?というヴィクトルの笑顔が心底怖かった。

 ユリオことロシアのユーリとヴィクトルを賭けて勝負したことも、ほんの少し前のことなのに懐かしい。

 口も態度も悪くて、最初はどこのヤンキーかという印象だったけど、ヴィクトルの言いつけには従順にしたがって滝行とかもやっていた。

 ヴィクトルの指示は時に感覚的過ぎて訳がわからないというか、ロシア人の彼に、滝行は意味があるのか謎だったけれど、「俺がほしいなら頑張って勝て」と笑うヴィクトルに勇利も煽られて、必死で減量に励んでトレーニングもした。

「頑張って!」そんな周囲の声援が、時に重かった。

「勇利のこと頼むよ」ヴィクトルの背中や肩を叩きながら、そう練習場に通う二人に声をかける地元の人に対して、ヴィクトルが笑顔で手を振ってみせる。

 期待に応えたいと思ったのは嘘じゃない。それでも、あのとき思ったのは、ヴィクトルに見捨てられたくないということだった。

 シーズン途中で競技に復帰したヴィクトルに、ロシアやヨーロッパのファンは困惑しつつも歓迎した。

 だが、日本の関係者は困惑しつつも、ヴィクトルを身勝手だと怒りをあらわにした。

 ヴィクトルが有利のコーチについたときは諸手を挙げて歓迎した彼等だが、シーズン途中、それもGPファイナルが終わったばかりでこれからシーズン後半戦をいうところで勝生勇利を放り出した格好になったのだから、ヴィクトルを無責任と責めるのは仕方がない。

 それも、ショートは勇利と同じ曲なのだから。

 だけど、勇利にすれば、あちらが本家という意識がある。

 もちろん、こんなタイミングで新しいコーチを探す気もなければ、頼むつもりもない。

 コーチ不在の勇利に心配した関係者が、新しいコーチを斡旋しようとしたが、それも断った。今回のプログラムは勇利とヴィクトルで作ったものだ。他人に弄られたくはない。

 心ない一部の人から、勇利が見限られたと言われもしたけれど、リンクで待っているとヴィクトルは言ってくれた。

 だから、自分は全日本で勝って、四大陸でも結果を出して、ヴィクトルが待つ世界選手権にいくのだ。

 彼が待っている。それだけで、僕は俯かずに、前だけを見つめることができる。

 そう自身に言い聞かせて、勇利はアナウンスの流れるリンクへと向かった。

 

イニシャルD

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紫翠楼

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