紫翠楼/WILD FLOWER

鳴らぬ綾鼓 背中合わせに絡める指先2名探偵コナン

新一×志保

 とにかく情報が少なすぎると、唸る目暮達を一瞥して、当たり前のような自然な仕草で、赤井が眼鏡の弦の部分に触れれば、片側のレンズに薄い画像が浮かんだ。降谷は胸ポケットから無線のイヤホンを取り出して装着する。

「おい…」

 思わず半眼で新一が二人を睨みつつ、彼も胸ポケットからコナンの時よく利用していた犯人追跡眼鏡を取り出して装着する。

「まぁ、『お守り』って言ってたしな」

だよなぁ、あいつが素直に身に着けるなんて、こんなことだろうとは思ったけど、と新一が溜息を一つこぼす。

「新一?」

「新一君?」

 彼らの動作の意味が解らず、目暮達だけではなく、蘭と園子も訝し気な表情になる。

「彼女のチョーカーの止め金具に、木の実を模した発信専用の小型通信機がついているんですよ」

 にこやかな笑顔で、沖矢の表情のまま赤井が何やら問題のある発言をする。

 発信専用の小型通信機、言い方を変えると盗聴器だ。

「この眼鏡の受信機で音が拾える。どうせ発信機もつけてるんでしょう?沖矢さん?」

「スマホや携帯は真っ先にとられるし、アクセサリーや時計も外されたら終わりだから、GPS機能付きの発信機を彼女の歯に埋め込んでるよ」

 年に一度のメンテナンスが必要だが、生態反応が切れたら緊急シグナルを発信する軍関係で開発した代物だ。

「だろうね。受信チャンネルは前と同じですよね?」

「ああ」

「切り替えOK、感度良好っと。安室さんのは?」

「このイヤーカフが受信機と増幅器でね、こちらも受信できるよ」

 阿笠博士が開発してくれた一見アクセサリーに見えて、かつ増幅受信機を小型化し、骨振動の耳パッドを併用すればバイクで移動中でもクリアに音を拾える優れものだ。

「どおりで、ただでさえ派手なスーツでチャラい印象になるのに、そんなアクセサリーを合わせているなと思ったんだ。っていうか、二人とも宮野のプライバシーは考慮してやってくださいよ」

「そういう君はどうなんだい?」

「オレは良いんですよ、相棒なんだから。いざという時、連絡出来ないと困るし、緊急事態でもなければ使わないから」

「どの辺りが良いのか、一度彼女に聞いてみよう」

自分は二人みたいに盗聴なんかしないから、という新一に降谷と赤井は自覚がないのかと肩を竦めてみせた。

 今でも志保は改良版探偵バッジを持っている。

 新一がその気になれば、半径20キロ圏内であれば志保の居場所は追跡眼鏡で特定することができるし、工藤邸から阿笠邸の内部の様子を知ることも出来る。

 文字通り、必要がないからやらないだけで、新一もやろうと思えば24時間志保の行動を監視できる。

降谷がコトンとポケットからキューブ状の物を取り出してテーブルの上に置くと、赤井がスピーカーのジャックを繋ぐ。

すると、声が聞こえはじめ、捜査員達が机の上のスピーカーの周辺に集まってくる。

「これは?」

「中で人質になっている宮野が所持している通信機です。送信専用なのでこちらからは送れませんが」

「それって盗聴器じゃ?」

「送信専用の通信機です」

 言い切った新一に対して、目暮だけでなく、高木や浅輪、他の刑事も微妙な表情になる。

「それ、本人の了解を得ているのよね?」

 女性である佐藤が複雑な顔で尋ねれば、「勿論」と新一だけでなく、赤井と降谷も、沖矢と安室のうさん臭い笑顔で頷いた。

 浴室とトイレに仕掛けたら抹殺すると言われたが、裏を返せばそれ以外の場所に仕掛けられるのは了承していると解釈している。この場合、了承ではなく、言っても無駄だと諦めていると言ったほうが正しい。

「宮野は子供の時から誘拐や誘拐未遂、監禁されて殺されかけたりしているから、非常時のために必要だと理解しているんです」

 黒の組織関係だけでなく、少年探偵団やコナンに付き合って、事件に巻き込まれて危険に陥ったり、襲われて死にかけたことはよくある。

 探偵団のバッチや追跡眼鏡は必需品だし、情報を得るために盗聴器をしかけるのもよくやった。

「そうですね、護衛を自称して付きまとうロリコンストーカーもいましたし」

「救出とかほざいて、彼女を拉致、隔離しようとして怯えさせた馬鹿もいましたね」

「…宮野は自分に危害を加えるかどうかが基準で、昔から警護という名の監視に慣れているせいか、「聞いているんでしょう!危険だと思ったら助けに来なさい!」と盗聴されていることを前提にしている時もあるから」

 不穏な安室と沖矢の言動に、新一が頬を引き攣らせながらフォローになっていない言葉を重ねる。志保に詳しい説明を省いて守ろうとしたせいで、言葉と態度の選択を間違って、警戒されたのは二人共だろうとは言葉にせず胸の内だけでつぶやいた。

 志保だとて盗聴されていることを不快に思わない訳ではないが、気にしないように流す術も身に付けている。

 あの年であれば、監視されて自由がないと反発するのは珍しくないし、政治家でも煩わしいと護衛を撒く者もいるというのに、志保は公安に対して自分の行動予定をきちんと報告する。自分が監視対象であることを自覚しているからだ。

 彼女が予定と違う行動をとるのは、新一に呼ばれて事件現場に行くときだけと言っても良い。

「…嫌な慣れだなぁ、オイ」

「ええ、今回は助かりますけど、盗聴やら監視されるのが当たり前というのは、ストレスも大きいでしょうね」

 ひょろりとした体型にあまり人相のよろしくない男と千葉刑事のような小太り体形に眼鏡をかけている男の二人は、特捜班のようだ。

「自分から人質の身代わりを申し出たと聞いた時は何を考えているのかと思ったが」

「危険慣れっていうのも厄介よね。今までは無事だったかもしれないけれど、これからも無事とは限らないのに」

 神経質そうな顔の男が首を振りながら言えば、どこか呆れた口調をにじませて答えるのは佐藤刑事より年上に見える女刑事だった。

「一応、警察の助けがくることを前提にしているので、無茶はしないと思うんですが」

 助けが来ると信じて待つ反面、どうにもならないと思えば自力で逃げる方法を考えるし、周囲を危険にさらすぐらいなら自分を犠牲にする方を選ぶ点は不安だが。

 灰原哀が少年探偵団の子供たちの一緒に山小屋に閉じ込められて火をつけられたとき、コナンの救助が間に合わなくて自力で脱出した彼女に文句を言われたことがあるし、ベルツリー急行列車では、皆を逃がすために囮になろうとしたこともある。

 それこそ、今でも防火扉を閉めるために一人残り、重要なデータはどこそこに隠してあるから回収よろしくと伝言を残して、さっさと諦める姿が簡単に想像できてしまうのが怖い。

組織の影が消えた今となっても、志保は誰かを助けるためならあがけるが、自分が生き残ることに対する執着が薄すぎるのだ。

「新一、私も手伝うよ」

 たまりかねたように蘭が新一に声をかける。

「ありがとう、気持ちだけもらうよ。蘭は園子の側にいてやってくれれば良いから」

 おざなりな態度で新一は蘭に答え、スピーカーではなく追跡眼鏡の方を抑えて音を聞いている。そんな新一の態度に、焦れた様子で蘭が声を大きくして訴える。

「新一!私だって鈴木のおじ様のことが心配なの!手伝わせて!」

「工藤君、彼女にははっきり言った方が良い。でないと、暴走しかねない」

 やはり追跡眼鏡を抑えたまま、低めた声で新一に話しかける赤井は、外見こそ沖矢だが、雰囲気が赤井寄りになって剣呑さが増している。

 冷めた赤井の台詞に新一が溜息を漏らした。

「蘭、お前こっちの指示に従わないだろ?確認だけしたらそこで待機、って言われても勝手に判断して犯人の元に向かうだろ?」

 こっちは危険だから行くなと言っているのに、準備もせずに自己判断で大丈夫だと犯人に近づくことを何度繰り返した?

「ベルツリータワーでも、外でFBIの狙撃手が犯人を制圧するために待機しているのにその射線をふさいで邪魔をしたよな?その上、丸腰で拳銃を持っている犯人に向かっていったんだよな?頭部と心臓を庇うそぶりも見せなかったし、銃口をそらすこともしなかったって聞いているけど、何か考えがあったのか?」

「あの時は歩美ちゃんが人質になっていて、助けなきゃって、無我夢中で!」

「小学生の灰原が、歩美を助けるための一瞬を作ったのに、お前は相手の気をそらすこともせず、素手で犯人に突っ込んでいったあげく、銃を所持している軍人の前で動きを止めるとか死にたかったのか?」

 灰原がせっかく歩美を救出するタイミングを作ったのに蘭の浅慮が台無しにしたと言わんばかりだ。

「酷いよ、新一!私はちゃんと犯人を捕まえたのよ!」

「そうよ、新一君。蘭は私達を守るために屈強な犯人に向かっていったのよ!」

 後で聞いて蘭の無茶を心配した園子だったが、あの時側にいなかった新一が責めるのを聞くと、つい擁護に回ってしまう。

 だが、新一は大きく溜息をついた。

「FBIの援護射撃があったことにも気づかず、自分の力だけで犯人を制圧したと思っていることも問題だけど…あの時、蘭が犯人を攻撃した際、制圧が目的じゃなかったよな?世良の分、歩美の分、って犯人を攻撃したって聞いたけど、彼女達に危害を加えられた怒りを解消するため、いうなれば私怨の鬱憤をはらすためだったよな?」

「だって、世良さんは撃たれて大怪我したんだよ?小さい歩美ちゃんだって怖い思いして、犯人が許せないと思うのは当然でしょ?」

「どんな理由があれ、オレだって犯罪行為を許す気はねぇよ。だけど、怒りを覚えることと、私的制裁を加えることは別物だろうって言ってるんだ」

「だって…」

 新一の怜悧な視線に、蘭は戸惑うような表情を見せる。

 勿論、小五郎だけでなく捜査一課のメンバーにも無茶を咎められたが、犯人逮捕はお手柄だと称賛してくれたのだ。

 それなのに、新一は蘭を責める目で見るから、言葉に詰まる。

 ただ、離れた場所から蘭達を望遠で見ているだけで、もどかしい気持ちであの場にいた新一にすれば、どうして蘭はこちらの邪魔をするのかと思った。

 一瞬で良い。その瞬間を見落とさず、沖矢ならどうにかしてくれると新一は思った。

 沖矢に扮していた赤井もまた、コナンならチャンスを作ると信じ、ライフルを構えたままで待っていた。

 言うことを聞かない子供たちに振り回されることもあるが、志保は的確に射線を読み、狙撃ポイントを推定して動ける。

 そして、新一達の望むタイミングを合わせることも可能だから、彼女の動きを不安に思うことはない。

 だが、その計算を台無しにするイレギュラーを引き起こすのが蘭だ。

「こちらの指示に従わず、個人的感情で行動されたら、こっちの心臓がもたねぇよ。相手と周囲の位置や動きを読まず、独りよがりな特攻をしかけるような人間は戦力として計算できない。というより、邪魔だから最初から頭数にいれない。蘭自身は強いつもりかもしれないけど、お前の空手はあくまでも学生都大会で通用するレベルだってことを理解してくれ。頼むから、本当に頼むから、蘭はここで大人しくしていてくれよ」

 ここまで言って理解してくれないなら、どうしようかと思う。

 ただ、降谷や赤井にすれば、いっそ鈴木園子と一緒に柱にでも繋いでおけ、と思ってしまう。

 思うだけでなく、外に漏れていたようで、新一が蘭を繋ぐなら警察の手錠が必要だとぼやいた。

「…ただ、助けたいと思っただけだよ……それがそんなに悪いことなの?危ないからって、目の前で困っている人を見捨てろって言うの?そんなの新一らしくないよ!」

「蘭の言うオレらしいってどういうことかは、この際どうでもいい。蘭に悪意がないことも、純粋な善意なのも知ってる。だけど、本当に助けたいなら、どうやって助けるか段取りを考えてから行動しろよ。いつも何の準備もなく突っ込んでいくけど、駄目な時は次善の策を考えてるのかよ。自力ではどうにもならなくなってから助けを求められても、周りも困るんだよ。自分だけでもちゃんと退くことが出来なかったら、二次遭難同様、余計に周囲に迷惑をかけて負担になるって、いい加減理解しろ!」

 志保ならば、新一の助けを当てにできないと割り切った瞬間から、自力でどうにかしようとするが、蘭は自身の力でどうにもならなくなったとき、新一に助けを求め、思考も行動も止まってしまう。

 オレは蘭専用の救助係かと言いたくなるほどに、新一の状況をまったく考えない。

 蘭の無謀無茶が悪意ならば対処のしようもあるが、善意だけに質が悪いというのが、赤井と降谷の毛利蘭に対する人物評だ。彼女に長所が無いとは言わないが、降谷達のような立場の人間からすると、なまじ空手に自信がある分、彼女の短絡的思考と行動力は致命的だ。

誰かを庇おうと咄嗟に身体が動くことは彼等もままある。

 だが、火が燃え広がる建物の中に何の準備もなく飛び込むことはしない。

 少なくとも内部の構造や、出火元や風の向きを確認し、進入路と複数の脱出路、救出相手がいるだろう位置やどこまで耐えるかは計算して水を被ってから飛び込む。

 それが彼女の場合、思い付きというか思い込みで戻ろうとする。それも、火を避けて名を呼ぶだけで、相手がどこにいるかもわからないまま、やみくもに動くから、結局自身の退路も失ってしまう。

その上、犯人が潜んでいるか、他にトラップが仕掛けられていないか、警戒することもなく、不用心に名前を呼んで大声で自分の位置を知らせながら探し回る。

 話を聞くだけでも勘弁してくれと顔を覆い、こんな人間が側にいて庇いながら行動するなど、命がいくつあっても足りないと思った。

 というより、工藤新一は、よく『これ』を抱えて黒の組織を倒そうとしたなと本音が漏れた。

 蘭は多少空手が出来るだけで、普通の女子高生。一般人だと新一は言った。

 黒の組織を追っている時、彼等から逃げている時、犯罪が身近になりすぎて、自分の中のボーダーが危うくなる時がある。仕方がないと、諦めて目をつぶりそうになる。

 そんな時、蘭達を見ると一般人の感覚が戻ってくる。当たり前の日常がどれだけ貴重なものか、そしてこの手でも守れるものがあると思えば、踏ん張れる気がしたのだと。

 それで自分が死にかけていたら世話はないと、赤井達は溜息をついたが、終わりが見えない黒の組織との対決は、モチベーションを保つのが難しく、蘭を守ることで、コナンになった新一が自分のアイデンティティの拠り所にしていた面が確かにあった。

 ただ、蘭は大人しく守られていてくれない。

それでいて、蘭は基本的に臆病で、人前では自分は強いと言うが、実際は無自覚にそこまでの自信がないのだろう。

 だから、先手必勝とばかりに先に攻撃をしかける。それも首や喉元に蹴りをいれる。

 相手が素人の場合、かなり危険だし、喉元に対する攻撃は、剣道の突きでも危険行為とされて一定レベルではないと技の行使は禁止されている。

 それなのに、蘭の独断で怪しいと判断すれば、急所であるその首に攻撃をしかける。

 蘭の空手技は相手を捕縛するものではなく、また無効化する捕縛術のスキルをもたない。

 確かに、犯人逮捕に繋がったこともある。だが、見知らぬ相手が工藤邸にいた、という事実で沖矢に攻撃をしかけた。

 沖矢から事実関係を確認することも、警察を呼ぶことも、工藤家の優作や由希子に確認することもせず、ただ怪しいと思ったから攻撃をしかけた。

 あれが実戦に強い赤井だから、蘭の攻撃を受け流したが、普通の大学院生であれば、喉を潰されたり、脛骨を折った可能性すらある。脛骨を折り、神経を傷つけて麻痺などの障害が残っていれば、勘違いでしたではすまないと、それが分かっているのかと、後日赤井から聞いて新一は頭を抱えたのだ。

 蘭の行動は、良かれと思ってやる方が、余計に事態を悪化させることが多い。

 だから、今は大人しく園子の側にいて励ましてやってくれれば良いからと新一は頭を下げた。

 蘭が邪魔をして、志保の合図を聞き落としたり、見落としたりする方が困るし、周囲との連携も崩れるのだ。

 背中を向けた新一は、すでに蘭を意識の外においた。

新一にすれば、園子が心配だったのと、不安要素である蘭を遠ざける程度のことだが、蘭にとっては新一に切り捨てられたようで、縋るような視線を向けた。

 安室さんや沖矢さんが当たり前のように新一の側にいるのは、同じ探偵を志している仲間だから?男だから?

 人質になっている宮野さんや鈴木のおじさまのことが心配なのは自分も同じなのに、どうして私を邪魔者みたいに扱うの?

 また、置いて行かれるような気がして、蘭は両手を組んで力を籠める。

 この場で、一番不安と戦っているだろう園子や鈴木家の人達が耐えて、じっと警察の様子を見ているのに気が付かず、蘭は新一の背中だけを見つめていた。

 衣擦れの音がして、犯人グループの一人の不幸語りを遮るように若い女のおちついた声が聞こえた。

《…いいの?この位置だと狙撃の良い的になってしまうけど?》

《何だと!》

《ほら、向かいのビルのあの位置、あそこからだと狙えるわよ?》

《っ!すぐに窓のロールを下せ!》

 バタバタという足音とシャーとロールカーテンを下す音が聞こえた。

「宮野!何言ってんだ!」

「落ち着け、新一君」

「わかってますよ!」

 ロールカーテンを下されると、中の様子が一層外から伺いにくくなる。

《お前、どうしてそんなことを教える?》

《だって、先走った警官の狙撃で、巻き沿いに撃たれたら嫌だもの》

《そうか…》

「宮野君…」

 苦虫をかみつぶしたような目暮達に、外で待機しているだろうSATも舌打ちをしているだろう。

 ただ、蘭はどこかほっとしていた。

 やはり、宮野も立てこもり犯といえども、狙撃されるのは納得がいかないのだと。新一なら望まないと、自分が以前とった行動は間違っていない。

 宮野さんだって警察の配置した狙撃の邪魔をしているじゃないかと。

 しかし、不意に新一と安室、沖矢の顔つきが変わったのに、蘭が驚いた。

「静かに!」

 新一が抑えた声で注意を促す。

 安室だけは一瞬怪訝な顔つきになったが、すぐに納得したような表情になった。スピーカーの前にスマホを置くと、録音機能を作動させる。

 不可解な彼らの動きに、刑事たちも口を噤んだ。

 スピーカーから漏れてくるのは、苛立ったような犯人グループの男の声。警察が自分達を狙っている、殺す気だとわめいているのを、他のメンバーが宥めているようだ。

「すみません、パーティーが始まってから、日高の映った監視カメラの映像ありますか!」

「僕はセキュリティシステムを確認してくる」

「お願いします!」

 新一と安室が説明もなくスピーカーが置かれたテーブルを離れるのに、目暮達は呆気にとられた。

 仕方がないという風に沖矢が吐息を漏らし、自分のスマホをスピーカーの前において録音できるようにしてから安室のスマホの録音を一旦止める。

「日高に外部から指示を出している者がいるようです」

「どういう意味だ、沖矢君」

「レストランを含めたこのツインタワーの警備システムはネット回線を使った遠隔警備をしています。その監視カメラの映像を見ながら、日高のインカムに指示を出している人間がいると志保さんが知らせてきました」

「えっ?」

「どうやって?」

「これです」

 刑事たちの前で、沖矢が再生したのは安室の携帯で録音した犯人グループの一人が恐怖に怯え、そんな男を宥める周囲の声だ。

「どこにそんな情報が?」

 志保は何もしゃべっていない。

「よく聞いてください。彼女のヒールが床を鳴らしています」

「ええ、不安なのかしら」

「踵で床を鳴らすのが『トン』、つま先でシャッと擦るのが『ツー』、モールス信号ですよ」

「えっ?」

「『確認、カメラの映像を見て指示を出している人間が他にいる、日高は主犯ではない』を二度繰り返しています」

「本当かね!」

「ええ。ですから、二人とも確認に向かったので」

 安室は地下の警備管理人室に、新一はパーティー前後の監視カメラの映像を早送りで確認していたが、何か気づいたのか会議室から飛び出し、数分後に戻ってきた。

「宮野のそれは和文モールス信号ではなくて、アルファベットのモールス信号のローマ字表記なんで、ちょっとわかりにくいですけど」

 そのせいで、赤井はすんなりと聞きとれたが、最初和文のモールス信号に置き換えて聞いた降谷は戸惑ってしまった。和文のイとアルファベットのA、ハとBが同じ信号というように、そのまま仮名として聞くと意味不明になるせいだ。もっともすぐにローマ字表記と気が付いたが。

「あいつ、仮名だと文字数が多いからって、基本アルファベットでしか覚えないんですよね」

「そういう問題ではないと思うのだが…彼女は船舶関係に詳しいのかね」

「さあ?船舶免許は持ってるのかな?まあ、クルーザーの運転ぐらいはできるんじゃないですか?でも、モールス信号って基本ですよね?」

 何の基本だと目暮達は訴えたいが、新一だけではなく、安室や沖矢も当然のようにモールス信号を理解しているのを見ると、探偵には基本知識なのだろうかと思ってしまう。

「モールス信号が基本って、他にも?」

「手旗信号とか、点字とか、簡単な手話とか。文字置き換えだと携帯入力や8進数アルファベット表記や2進数、見立て表示は基本ですよね?」

 だから何の基本?と尋ねたい。

「彼女、ミステリーも読むのかい?」

「基本はサイエンス雑誌とファッション誌です。でも、父さんの書いたバロンシリーズは読んでましたよ。それで、ホームズだけでなく、江戸川乱歩、アガサに左文字シリーズとおすすめを貸しました」

 ミステリー好きな新一と理由は大分違うが、暗号解きは彼女も得意ではあるので、コナンと哀であった頃から事件に巻き込まれると、二人にすれば略語感覚で互いに暗号のメッセージを残すやり取りはしてきたが、これが意外と役に立つことが多かった。ダイイングメッセージはまどろっこしいと顔を顰めるが、動機ではなく、可能か不可能かの事象で積み上げ、トリックを崩す志保と話をするのが楽しかったので、おすすめのミステリーをあれもこれもと志保に貸したりもした。律儀なところのある志保は、世話になっているからと優作の小説は少なくとも読んでくれた。

 今では過去の作品はともかく、最近の作品だと実際犯行やトリックが可能か実証に付き合ってくれる時もある。気が向いた時、たまにではあるが。

「サウスタワー、20階のトイレのタンクにこれがありました」

 新一が差し出した濡れたビニール袋に入っていたのは、インカムマイクとシルバーのスマートフォン。

 手袋をつけた目暮が急いでスマホを取り出して画面をタップする。

 残っていた最後のメールには、アドレスが添付されおり、動画が映った。

《直人君、リアル脱出ゲームだよ。そのゲームをクリアしないと、この部屋から出られないよ?》

《わかった、がんばる》

《うん、頑張って》

 機械を通した声とそれに返事をする男の子の声、特徴の少ない白い部屋で直人君と呼ばれた少年が楽しそうにゲームをしている。

 ただ、ソファに座ってゲームをしている少年の背後にある机の上に、不審な物が目についた。

『00:15:00』の表示で止まったままの数字板が見える箱のようなものだ。

「これは…」

「少なくとも、直人君が連れ去られたと考えるべきですね。この箱はフェイクの可能性もありますが、爆弾だと言って日高が脅されたと考えるべきでしょうか」

 警察に知らせようにも、起動して15分で爆発するとなれば、直人君の居場所を割り出す前に爆発すると日高は考えるだろう。

 監視カメラの映像とインカムで主犯が日高の行動や言動を監視しているとなれば、下手なことは出来ないだろう。

「とにかく、この画像の分析と送り主の特定を急げ!」

 目暮が指示を出すと、白鳥がスマホを受け取り、席を外す。

「……新一」

「何だよ」

 邪魔をするなという雰囲気が滲んでいる新一の態度に、蘭はキュッと一度唇を噛んだ。

「宮野さんは……犯人をかばったんだよね?」

「ああ?日高が主犯ではないのに、全部の罪を背負わされて被疑者死亡になったら本当の意味で解決しないからな」

 志保の姉は、被疑者死亡のまま強盗犯として起訴された。

 確かに、彼女は実行犯であり、罪を犯したが、それを彼女に指示した者達は罪に問われることはなかった。

「そうじゃなくて」

 例え犯罪者でも撃たれることが許せなかったんじゃないのかと、そう言いかけた蘭に、降谷が唇の端を歪めて笑った。

「志保さんは考えもなく行動したりしませんよ。それに命に優劣をつけられる。今の時点で、一番優先されるのは鈴木史郎氏の命。彼を死なせる危険を冒してまで、犯人をかばったりしない」

 ただ、自分の身の安全を二の次にはするけれど。

 彼女が警察の狙撃を阻害したのなら、そのことに意味がある。それがわかっていても、志保さんが自分の安全をおざなりにするのも分かっているから心配になる。

 それだけのことですと、薄く笑う安室が怖いと蘭は思った。

「取りあえず、我々の邪魔をしないでいただけますか?」

 今のあなたに出来ることは、ご友人である園子さんを元気づけることだけですよと、慇懃な口調と態度で沖矢に言われ、蘭は「はい」と小さな声で返事をした。

WILD FLOWER