紫翠楼/WILD FLOWER

触れぬ指先 恋の淵3名探偵コナン

新一×志保

 志保が帝丹高校に転入して三ヶ月目になった。

 この間、新一が警察に呼び出されたのが2回というのは、彼にしたら少ないと判断している。ただし、事件に遭遇する回数はこの倍以上なので、やはり事件誘因体質だとは思うが。

 昼休み休憩中、昼食を終えて志保はファッション雑誌をめくっている。

 先月行われたマークシート式全国模試ではパーフェクトで、文句なしの全国一位。特待生資格保持で、今期の授業料は免除になり博士への負担を減らすことができてほっとしている。

 クラスで浮くというほどではないが、学期途中の編入だしグループに所属していないので、どこか遠巻きにされている感じはあるが、とっつきにくい雰囲気に反して話しかければ返事は返ってくるし、勉強を教えてくれと言えば丁寧に見てくれるので、クラスの女子とも険悪という程の相手はいない。

 必死で勉強している風でもないのに全国上位レベルなのが、塾に通い毎日必死で勉強している国立組にはやっかまれてはいるが。

 ただし、いつも読んでいるファッション雑誌もティーンズ向けではなく、キャリア女性向けの物や海外ブランドをあつかった分厚い雑誌なので、同年代の女子は話しかけにくそうだ。

「ねぇ、宮野さん。本当に工藤君とは付き合っていないのかい?」

「世良さん、その『付き合っている』の定義を言って」

 蘭のクラスにいる世良真純は、しょっちゅう志保と新一のクラスに顔を出し、昼は志保と一緒に食べていることが多い。

 雑誌に視線を落としたままの志保にめげずに話しかける数少ない人間でもある。

「えっと、一緒に出かけたりしないのかい?映画とか」

「映画は予告を見て、興味があって日が合えば一緒に行くし、合わなければ一人で行くわね。サッカーの試合は比護選手が出ている試合なら一緒に行くけど、試合でなくイベントでも彼が出ているなら別に一人でもいくし、それ以外の試合ならテレビで十分だわ。でも、これって友人でも行く『付き合う』内容よね?」

「テーマパークとかは?」

「彼の事件誘因体質と遭遇率を考えれば、そんな場所に一緒に外出したくないわ。スーパーに食材なんかを買う時の荷物持ちとしてなら『付き合って』もらっているわね」

 志保の返事に真純が「う~ん」と首をひねる。

 ようやく雑誌から顔をあげた志保が呆れたような表情で真純を見る。

「どうして、そんなに私と工藤君を『恋人』にしたいの?」

「だってさ、友人というには献身的すぎるだろ?」

「別に献身だとは思っていないわよ?食事に関しては、工藤君のご両親から一食800円、一月72,000円の食費をもらっているんだから作るわよ。お金だけもらって作らないなんて、それこそ問題でしょう」

「それはそうだけど……」

 新一の方はサッカー部に復帰はしたがまだフィールドには出られない。この際、ボディビルダーのような身体は必要ないが、鍛え直そうかと新一が考え、筋トレと有酸素運動で地味な基礎訓練中だ。

 運動を始めたので、志保は新一の食事を1800カロリーから2500カロリーに増やし、トレーニングメニューを組み、心拍数・血糖値・血圧をトレーニングの前と後で記録をつけて管理している。

 ほとんど専属トレーナー状態だが、ついでにサッカー部メンバーのトレーニングメニューも作っている。

 そのせいで、別にマネージャーという訳でもないのにサッカー部に志保が顔を出しても誰も疑問をもたない。

 それどころか筋トレ中に使う筋肉が違うと指摘して修正するので、顧問やレギュラーなどから感謝されているぐらいだ。

「お二人にはお世話になったのはこちらだから、工藤君の食事ぐらいはと言ったのだけど」

「だから、普通に栄養士を雇って三食用意したら、もっと費用がかかるんだから十分お礼になってるって」

 いつの間にか志保達の机の側に来た新一が、隣の席にもたれ志保と真純の横に立つ。

「そう言われて押し切られたのよ。まあ、食費をいれてもらえるのは正直助かるけど」

 減塩や糖質オフの栄養士監修宅配弁当で、普通に一食700円前後。

 運動を始めた新一の場合、アスリートほどではないが、タンパク質の摂取とあわせて塩分やカリウム制限がかかるので、好きな物を適当に食べるという訳にはいかない。

 新一のためにトレーナーと栄養士を雇うことを考えれば、3食で月額72,000円など申し訳ないほどだと優作には言われた。

「二人は一緒にいてドキドキしたりとか、離れていると寂しいとか思わないのか?」

「ドキドキ……外出先で事件に巻き込まれるんじゃないかとか、事件に巻き込まれてまた怪我してくるんじゃないか、とドキドキしたりハラハラしたりはするかしら」

「お互い住んでるの近所だし、学校は一緒で、朝晩食事のたびに顔を合わせるし……またこいつは寝不足なんだなとか?夜中まで何やってるのかは知らないけどな、あくび娘」

「何よ?」

 座った視線を向ける新一に志保が不満げに問い返すのを見て、真純が肩をすくめる。

 志保が新一を中心にした生活を送っているように思えることが多々ある。

 その上、新一も志保に甘えているような態度をとるし、こうして真純などが志保と話していると気になるのか会話に割り込んで来たりする。

「うん、いっそ付き合っていると言ってくれた方が、すっきりするんだけどな」

「だから違うって言ってるでしょう」

「事件の時は別だけど、普段は一緒にいてもそれぞれ好きなことしてるぜ?オレがよく読むのは推理小説だけと、宮野はサイエンス系やファッション雑誌だし、サッカーも宮野が見るのは比護選手だけで未だにルールがよく分かってないから盛り上がるポイントが違うしな。近所のスーパーとかは一緒にいくけど、ショッピングモールだと行きたい店が違うから、大抵一時間後に待ち合わせなって別行動だぜ?映画はなぁミステリーだと水死体や首つり死体があんなに綺麗なはずがない、とか、一日たった血液はあんな色していない、とかで偽装工作に見えて楽しめないっていうから、原作貸してからでしか行けないんだよなぁ」

小説と映画のアレンジや役者の演技を見にいくのでなければ、志保の場合、事件現場そのものが偽装にしか見えないので、筋やトリックを楽しめないのだ。そのかわり、テレビドラマのシリーズなどは同じ作品でも役者が違えば付き合ってくれるが。

そんな事をいう新一に真純は呆れる。つまり、いつも一緒にいると、食事タイムだけでなく、その前後も同じ部屋で過ごしていると、そう言っているのに気がついていないのか、それともわざと周囲に聞かせているのか。

「別に一緒にいる時、会話がなくても苦痛は感じないし。実際のところ、『デート』と『友人と遊びにでかける』の差は何だ?」

「それは……」

 高校生なら映画やカラオケ、テーマパークに行ってファーストフードやファミレスで食べて、だろうか。図書館や公園で一緒に過ごすというのもあるかもしれない。でも、これは友人とでもする話だ。

「同性なら友人、異性なら恋人、世良もそういうタイプか?」

「指先が触れるだけでドキドキしたり、指を絡ませるように手を繋いだり、キスをしたり、セックスしたり、を『恋人』と定義するなら、私と工藤君は『恋人』じゃないわよ?」

 どこか悪戯っぽく笑う志保に、真純が降参という風に両手を挙げてみせる。

「爆発物の解除が間に合うか?っとかいうドキドキなら何度か経験があるから、吊り橋効果ってやつがあるかもだけど、大抵そういう時、頭は沸騰してるようで冷めてるからな」

 探偵とその相棒として過ごす時間の濃度が濃くて、事件が起きれば新一の意識は切り替わるが、それは志保も同様だ。

「セックスもなぁ、『お年頃』ですから興味がないとは言わないが、こいつから性病のレクチャー受けたらそうそう軽々しくやりたいとは思わねぇぞ」

「えっ?」

「ヘルペス、クラミジア、尖圭コンジローマ、梅毒の症状の進行具合を写真付きで説明されてみろ。へたなホラーより怖いぞ。セックスするならお互いに検査受けてからにしろ、それが出来ない相手なら信用するなとまで言われた」

「日本のマンガやAVが夢を見過ぎなのよ。性行為は粘膜接触、キスで移る病気もあるのに不用心すぎるわ。逆に間違った知識は知ってるのに」

「アハハハ」

 新一の乾いた笑い声。何故だろう、志保の口調だとセックスが愛し合う恋人同士の行為というより、生殖行為にしか聞こえない。余計に生々しい。

 不意に校内放送で学長室に志保を呼び出すアナウンスが流れた。

「何やったんだよ」

「昨日、授業を早退してあなたと事件現場にむかったことかしら」

「だったら、オレも呼ばれるだろ?」

「……心当たりがあるようで無いわね。とりあえず行ってくるわ」

 そう言って席を立つ志保に、新一は何かあったら呼べと声をかければ、軽く手を振って答えた。

 確かに、わかりやすい恋人同士の雰囲気というか、そういうのは無いのだが、以前の新一のような目立ちたがりの部分は消え、志保の側でくつろいでいる風なのだというのが男子生徒達の意見だ。

 私がいなくちゃ駄目なんだから、と新一にかまうという感じだった蘭に対して、志保は新一が呼ばない限り放置、という感じなのだ。

 そのくせ、呼ばれると新一の一言二言でその要望に添ってみせる。

 あれは普段から、工藤君のことを注意深く見ていないと出来ないというのが女子生徒の意見。

 どちらかと言えば、新一のほうが志保に『自分を構え』という素振りだなと真純などは思う。それでも『恋人じゃない』と二人は真顔で否定する。

 昼休みが終わり、午後の授業は選択で、国立の二次などで生物が必要な生徒達と一緒に新一と真純は特別教室に移動する。

 生徒はそれぞれ6人利用のテーブルに座った。授業が始まっても志保が戻ってこず、どこかイライラしている新一を横目で見ながら、真純は教室前方にプロジェクターで映されている映像を見る。

 廊下から何やら男女の声が聞こえてきて、ガラリといささか乱暴な音を立てて戸を引くと不機嫌そうな志保が「遅れてすみません」と入ってきた。

 彼女の後ろから、グレーのスリーピースを着た外国人が追いすがるように入ってくる。

 そんな男を志保が振り返り、きつい口調で話しかける。

 二人とも早口の英語で、その内容を正確に聞き取れる生徒は少ないが、何やら男性側が志保に必死で言い募り、志保が拒絶しているのはその雰囲気で察せた。

『いい加減、出て行ってくださいませんか?授業の邪魔です』

 新一が冷めた口調で話しかけると、男は志保から新一に視線を移す。

 年の頃は30前後だろうか、整髪料できちんと撫でつけた金髪に青い瞳、アーリア系の白人、姿勢と動きから格闘技の心得はない。

 趣味でスポーツを楽しんでいる、というあたりの知識階級の労働者。

『なんだ、君は』

『何って、ここは学校で今は授業中、オレは宮野のクラスメイトですが?』

 そう言われて男は白板に移るプロジェクターの映像を見て、馬鹿にするように鼻を鳴らした。

『志保にこんな授業は必要ない』

 そして、新一を無視するように志保に視線を戻す。

『志保、こんなところにいるのは君の貴重な才能と時間の浪費だ。教授も喜んで君の復帰を受け入れてくれる。一緒に戻ろう』

『クリスフォード、いい加減にして。ここが日本だから警備兵が銃を突きつけないだけで、あなたは無作法すぎるわ。授業妨害は他のクラスメイトに迷惑なのよ。今すぐ出て行きなさい』

 まるで飼い犬に「ハウス!」と命じるように、志保が出口を指さす。

『今日はこれで帰る。でも、また来るよ』

『用事があれば、こちらから連絡するわ』

『志保!』

『不審者として警察に通報されたいの?』

 冷たい志保の視線に男は言葉を飲み込み、渋々という風に引き下がった。

 男が教室を出ていったのを見届けると志保は溜息をつき、教師に授業の邪魔をしたことを詫びる。

「いや、宮野さん、工藤君席につきなさい」

 外国人男性と志保の別れ話がこじれたのかと誤解されそうな雰囲気だったのを教師はスルーして、二人に席に戻るように促した。

 後ろのテーブル席に戻ると、真純が興味津々の顔で志保を見る。新一もどこか不機嫌で、話せという空気だ。

 仕方なさそうに志保が溜息をつく。

「彼はクリスフォード、私が在籍していたアメリカの大学の教授のラボにいた研究員よ。帝丹高校から向こうに在籍確認の連絡がいって、こちらに来たらしいわ」

「まあ、その年で大学卒業の経歴なら、高校側も確認ぐらいはするか」

「一応、卒業証明書のコピーは提出したけど、様式の違いもあるし、本物かどうかすぐに判断出来ないでしょうから、あちらに宮野志保という卒業生はいるか、博士の資格をとったのは本当か問い合わせを出したようね。事務局から回答が届いて、経歴詐称じゃないとわかったから、日本の生活に馴染むためという理由と、優作さんの口添えで特別に編入を認めてもらえたのよ」

 元々志保は日本の高校に行っていないので、転校という訳にはいかない。帝丹高校側も転入の受け入れならば学力試験で査定は行う。その上、未成年で親族がいない状態だから、経済的にも本来は施設入りなのだが、これも18才だから入居できない。住民票を阿笠邸に移すだけでも、後見人手続きやら法的手続きがいろいろあったのに、人が良い分世俗的なことに疎い阿笠博士では行政手続きがおぼつかず、優作が知り合いの弁護士を通じて手続きを行ってくれた。

 学歴的には今更高校にいく必要はないが、なまじ早熟の天才だったから対人のコミュニケーションを学ぶ意味で、生徒の自主性を重んじ自由な校風の帝丹高校への編入を勧めたと、学長や理事長に話を通しつつ、新一と同じクラスになるように便宜をはかってもらったのも優作だ。

「それで?どうしてそのクリスフォード氏がわざわざ日本に、教室まで追いかけてくるんだい?」

「……あちらに居た頃、流石に15、16の子供が書いた論文だと信憑性が薄いからって言われて、教授の所属するチームの名前で発表してたのよ」

「宮野……それって、年齢を理由に在学中のお前の論文全部他人に盗られてたっていわないか?」

「私は卒業と博士の資格が手に入ればそれでよかったし、目立ってあまり騒がれたくなかったから、教授名での発表は都合が良かったのよ。クリスフォードの恩着せがましい物言いは腹がたったけど、私の研究は自分が引き継ぐって大見得きったんだもの、自分でどうにかすべきでしょう」

「それなのに宮野さんの元にああしてやってきたのは?」

「研究が行き詰まったみたいね。まあ、理論的に行き詰まるだろうな、と思っていた研究テーマをそれらしく書いて出したけど、都合の良いデータを添えて発表しちゃったから、引けなくなったんじゃない?来年のうちに成果が出せないと研究費が打ち切られるらしいから、かなり切羽詰まってるみたい」

「自業自得の見本だな」

「別にグループ研究を蔑ろにしている訳じゃないのよ?一人で研究するのだと限界があるし、資金がないと機材も買えない。それに論文の一つも書いて教授に認められないと博士の資格は無理だし。」

「そんなに急いで必要だったのか?」

 志保なら、その気になれば普通の手段で十分取得できたろうにという新一に、志保は「当然でしょ」と答えた。

「研究所の連中は私をなるべく外に出したくなかったの。騒ぐ身内がいないから飼い殺しにできるのに、いらない知識を身につけて、反抗されたら面倒ですもの。でも、無名の学生がつくった出所不明の薬を誰が飲むのよ。『どんな難病も治す奇跡の薬です』なんて言われて飲むのは医者にも見捨てられて末期患者か、いっそ死んで欲しくて周囲が飲ませるかよ」

「だから肩書きが必要だと?」

「言ったでしょ、研究にはお金がかかるの。ちゃんと売れる薬も作らないと、機材や材料を購入できないじゃない」

 医療系の機材や薬品などは正規の手続きをとらずに購入するのが難しいものが多い。特に日本では解熱剤一つでも、購入記録が残り横流しは難しい。

 組織に居た頃、潤沢な資金で研究をしていた志保だが、だからこそ表向きの真っ当な会社に研究員として在籍し、その会社を通して研究に使う機材や材料を購入し、実験などを行っていた。

 そうでなければ、購入量と消費量の不自然さから目を付けられるからだ。

 委託先として、間にいくつも噛ませてから組織の研究所に機材が持ち込まれていた。

 なので、表の会社に名前だけ存在している『宮野志保』と組織で研究をしている『シェリー』が同一と知っているのは、直接顔を合わせる幹部の一部だけだった。

「戻る気は?」

「あちらに出したやつ、そもそも無理だろうなと分かっていた内容だったから、私が戻ってもどうにもならないわよ。それに先月、宮野志保の名前で新しい論文を出したから、共同著作じゃないのをばらされると焦ったのかしら」

 幼さの残る、世俗的なことに関心がなく、社会的なことに無知だった志保であれば、卒業と博士資格をちらつかせ、『騒がれないように守ってやる』と言って黙らせることも出来るだろうが、新しい論文を本人の名前で発表して、アメリカでも著名人である工藤優作が彼女の後見についたと聞かされれば、教授達が志保の論文を自分達の名前で発表していたことが優作に知られたら社会的に抹殺されてもおかしくないと顔面蒼白になったのは想像できる。

「使えない論文と理論を抱えて困るのは彼等だし、それをヒントにして新しい理論を見つけるなら、それは彼等の物でしょう」

 すでに興味がないと、バッサリ切り捨てる志保に新一と真純は感嘆し、運悪く同じテーブルにいたクラスメイトはその内容にクラクラしていた。

 アメリカから別れた元恋人が追いかけてきた、そんな噂が広がらないように、せいぜい彼等には広めて欲しいと思っている新一は、彼等に口止めすることなく、むしろ志保の居ない場所で積極的にこの話題をふりまいた。

既に大学を卒業している志保に生物と化学を教える担当教師は教壇で居心地の悪さを感じていたが、別段志保が授業の邪魔をする訳でもなければ、難解な質問をして教師に冷や汗をかかせるようなこともしないので、特別扱いはせずに授業をすすめていた。

実際、彼等は生徒に化学や生物に興味をもってもらおうと実験や実習など授業内容の工夫をしている教師達なので、自分が教えるのに向いていないという自覚がある分、志保からすれば感心しているところもあったのだ。

それなのに、アポイントもなしに学校まで来たあげく、他の生徒がいる授業の邪魔までするとは、こちらを馬鹿にするにも程があると腹を立てていた。

ただし、クリスフォード側にすれば、学校に志保の連絡先を尋ねてもらちがあかず、連絡が欲しいと何度伝言を頼んでも梨の礫で、切羽詰まっていたのだ。

帝丹高校に来てみれば、普通の高校生と同様に授業を受けていると聞いて、どうして今更と思った。日本では飛び級制度がないと聞かされ、このような授業内容は時間の無駄だと憤慨し、志保がいかに特別な人間なのか学長や学年主任にまくしたてた。

それで学長達も志保を呼び出したのだが、クリスフォードが大きな身振りで一方的に話すのを志保は冷めた表情で見ていた。

大学時代、クリスフォードがエルヴィン教授に阿って志保の論文を添削という名目で教授に渡したことを腹立たしく思わなかった訳ではないが、組織の思惑と自分も目立たずに卒業と博士資格を得たくて教授の自尊心と名誉欲を利用していた自覚があるので、そのことは水に流しても良い。

ただ、今更研究が行き詰ったから戻ってこいと、それも恩着せがましく、自分が口添えして拾ってやると言わんばかりの態度には呆れるしかない。

 志保が大学の研究室に戻る気はないと言えば、随分と慌てて考え直せと訴えてきたので、これは研究費を削られるか打ち切られるのだろうなと予想がついた。

 それとも志保を連れ戻してみせると、エルヴィン教授かスポンサー企業に大見得でも切ったか。

 志保が途中で投げた研究をクリスフォード達が引き継いで行う分には文句は言わないが、彼等の元に戻って研究をするつもりはないので、今後学校に押しかけてくるな、迷惑だと言ったのだが、向こうも引き下がる気がないようで頭が痛い。

 彼はすでに無関係な人物なので、今後は学校に入れなくて良いし、取り次ぐ必要もないと志保に言われた担任や学年主任も複雑な顔で頷いた。

 正直、質の悪いクレーマー並みに志保への取り次ぎを依頼してくるからだ。できれば、志保の方で対処して欲しいと遠回しに言えば、これ以上は警察と弁護士に連絡すると電話口で言い捨て、今度押しかけてきたら本当に警察に通報してくれと言われ、顔を引きつらせるしかない。

 アメリカにいたことや、全国模試の成績がトップクラスなのは教師にも知られていたが、立派な肩書のある大人の外国人が必死で言い縋り、それを素気無く断る風な志保の態度は強烈な印象を与えた。

 護衛と大仰にする訳ではないが、新一と真純は志保と一緒に下校するようにしていた。

 新一が基礎トレする時は、大抵側で志保がチェックしているので、真純は本を読んだり課題をしたりしながら時間をつぶすことが多い。

 志保は饒舌という程ではないが、見た目の印象ほど言動がきつい訳ではなく、話しかければちゃんと返事が返ってくるので、真純も一緒にいて苦痛は感じなかった。

 蘭は新一の『幼馴染』という言葉に、友人として付きあうことを望んだ。

 園子からも告白の返事を半年しなかったことは、いくら直接伝えたかったとしても言い訳できないと指摘され、ちゃんと言葉にしなかったせいで拗れた関係をやり直した方が良いとアドバイスされたからだ。

 新一はコナンになったことで、違う視点でみることを覚えたため、蘭と友人として付きあうことは出来ても、探偵としてある自分の側に蘭がいる未来は創造出来なかった。

 蘭と自分では相手に求めるモノが決定的に違うと気がついたからだ。

 友人としてなら側にいられるが、探偵として事件を追いかけている時は行動を制限されて煩わしいと感じてしまう。

 蘭はどうして側にいて助けてくれないのか、と訴えるが、新一にすればどうして蘭は後先考えずに行動して周囲に迷惑をかけるのかと言いたい。

 事件となれば無謀な行動にでるあなたが言うな、と志保には睨まれるが、一応ジンとの遭遇の一件を反省して、退路を考えてから行動するようにしている。

 銃に撃たれて血を流す志保を見て、ようやく本当の意味で危険度を理解したのが情けない限りだったが。

 無謀と勇気は違うと、他人が傷つくのを見て新一は自覚した。

 だが、蘭はいつまでたっても理解しない。なまじ自分には空手があるという自信があるせいか、周囲の状況を見ず、すぐに飛び込んでいく。相手が凶器を持っていようが、凶器を持つ犯人は冷静なのかパニックなのか判断することもなく、正々堂々の試合などではないというのに正面から向かっていく。

 相手が素人で、動きが止まるようならば蘭の攻撃は有効だが、最初の攻撃を交わされてしまえば、懐近い位置なせいで逆に捕まることも珍しくない。

 その上、新一の予想とは違う動きをするから、事態が悪化して救出の段取りも狂う。頼むから大人しくしていてくれと、何度思ったか。

 悪意はないが、配慮もない、それが今の新一が蘭に対する評価だ。

 そんな新一に対して蘭の方は、新一は自分のことを『大事だ』と言ってくれた。だから、今度はきちんと『好きだ』と告げよう。そうすれば、以前のように『仕方ねぇな』と笑って、受け入れてくれる、そんな風に考えていた。

 園子に諭されて、自分の気持ちは分るはずだと、告白されたことで両思いだと自分が新一に甘えていたことは自覚した蘭だったが、新一は優しいから、誤解をといてやり直せば許してくれると思っていた。

 志保は蘭が新一の側にいることを嫌がらず、どちらかと言えば新一に蘭といなくて良いのかという素振りを見せる。

 友人というには近しい感じだが、付きあっているのかという周囲の問いには一貫として違うと二人とも否定するし、その口調や態度は照れて否定している風でもないから、蘭も諦めがつかない。

 蘭が半年以上、新一の告白に返事をしていなかったことについては、どうしてそんなことをしたのかと怒った園子だが、やはり付きあいの長い分、蘭に肩入れをしてしまう。

 志保が優秀なのは分るが、新一に対して素っ気ない態度をとることが多いように思う。新一の方が志保に執心しているようだが、新一本人は無自覚なのではないかと。

 新一は志保を『非日常』で、蘭は『日常』だと言った。だったら『探偵』から戻った『工藤新一』を迎える人間に蘭がなれば良い。そうすれば、新一だって蘭を大切に想っていたことを思い出すと、園子は蘭に力説した。

 大好きな二人だから、園子は記憶にあったように笑っていて欲しかった。

 すでに新一と蘭では見ている景色も、歩もうとする未来も違っているということには気づかないフリをして、過去の明るい世界を見詰めていた。

 サッカー部がグランド練習をしている横で、基礎トレーニングは無理をしない、頑張りすぎない、と志保に監視されて行う。

 今の新一がやり過ぎたら、疲労骨折を起こすと。

 有酸素運動も脈拍は120前後をキープして、もう少しと気がはやれば「ペースを落としなさい!」と志保に叱られる。

 ストレッチは特に念入りに行い、十分に汗を流してから引き上げる。

 部室で着替えて出てきた新一に合わせて、志保と真純が校門に向かうと、蘭と園子が一緒に帰ろうと追いかけてきた。

 友人としてなら付き合える、そう思っているから特に断る理由もないので、新一達は連れだって歩く。

 校門を出てすぐ、見慣れた高木刑事が新一を待っていた。

「高木刑事」

「こんにちは、新一君」

「お久しぶりです。って先月も会いましたっけ。何か事件でも?」

「いや、今回はこっちの長谷川が宮野さんにお礼が言いたいっていうから」

 そう言われて、高木刑事の側に同年代の男が何やらギフトボックスを持って、緊張した面持ちで立っていた。

「宮野さん、先日はありがとうございました」

「いえ、お役に立てましたか?」

「はい、無事事件として捜査することになりました。これはお礼の気持ちです」

「ありがとうございます。遠慮無くいただきますね」

「どういうことだよ、宮野」

 差し出された白いギフトボックスを受け取る宮野に、新一が不審げな眼差しを向けると、高木刑事がバツの悪そうな顔で頭を?いた。

「長谷川は僕の同期で、神奈川県警に勤めているんだけど、この間管轄内で転落事故があって」

「事故で処理されそうだったんだけど、どうしても気になって。相談というほどじゃないけど高木に話したら宮野さんを紹介してくれたんだ」

 事件を捜査する警察といっても公務員。予算は無限にある訳ではなく、事件性が乏しいと判断されれば詳しい捜査はされない。

 神奈川県は行政解剖費用もしくは死因不明死体の検案書の費用を遺族または死体引き取り人に請求するのだが、監察医の数が少ない上、費用も安いのでかなりおざなりな検案書を書く者もいたりする。

 今回の事故死と書いた監察医もさらっと表面検査をしただけで書いており、長谷川はどこか違和感を覚えた。ただし、刑事の勘などで事故と判断された案件を調べることは出来ない。だが、火葬してしまったら、もう取り戻せない。

 相談を受けた志保は、保険会社への保険請求手続きがスムーズに行えると言って、実費での造影CTを遺族に勧めるようにアドバイスした。

 実費でも造影CTは35,000程、神奈川での行政解剖は全国でも最低料金に近くて安いと言っても50,000円に書類交付料や手数料などいろいろ付いて請求されることが多いと教えれば、多分造影CTを選ぶだろうと。

 疾患がなかったのか、死因は何なのか、造影されたモノクロの内臓と血管を見て、志保は血液検査を行い、その検査報告を遺族に渡した。

 そして遺族から検査報告が警察に持ち込まれて、事件性ありと判断されたらしい。

 神奈川は全国でも稀なことに、行政解剖の費用を遺族側に請求するが、他県ではほとんどが国庫負担になる。検死で死因不明として、解剖を行う監察医は監察医制度施行区域の東京都・大阪市・神戸市にしかおらず、他の地域は大学の法医学に依頼することになるが、一体解剖するのに10万から15万の費用がかかるので、全ての死体を解剖することなど出来ない。

 毎年、だいたい同じ数の解剖で推移しているのは調整されているからだ。

 違和感がある、その程度では解剖に回すことなどできないし、上も許可しない。

 事件性が薄いと判断されれば、厳密に現場を調べることも少ない。

 そんな現状に刑事達の間でほとんど実費で簡易検査をしてくれる人間がいると口コミで広まり、高木を通して志保の元に内々で相談というか依頼をする人間が出てきたのだ。

「本当にありがとうございました!」

「宮野さん、僕からもお礼を言わせてもらうよ。ケーキ奮発しておいたから」

「ありがとうございます」

 きっちり90度角度で頭を下げた長谷川に、高木も頭を下げて、それじゃとまたと別れを告げる。

 高木達を見送ってから、新一が志保を見た。

「最近、授業中に眠そうだったのは、これのせいかよ」

「……いいじゃない」

「良くない。オレにはフサエブランドのバッグとか言って、あっちはケーキってなんだよそれ」

「薄給で頑張っている公務員にたかれないでしょ」

「オレのほうが薄給だ!」

「だから、出世払いでOKしてるじゃない。頑張って稼いでね。お礼期待しているわ」

 どのぐらい貸しが増えてるか楽しみだわと澄まして言う志保に、狡ぃだろと新一が拗ねた表情をみせる。

 確かに、志保は新一にお礼はフサエブランドの新作、という言い方をよくするが、店に連れていって買うことを強要する訳ではない。

 ほとんどお約束というか、言葉遊びのようになっているが、それでも貸し一つ、そんな言葉を投げてくる。

 実際、新一に救われた志保にすれば、本気で買わせようと思った訳ではない。

 ただ、何でも新一の頼みを聞き入れると思われるのが癪にさわって、こっちの都合も考えろという憎まれ口だ。

「流石に私と博士だけで1ホールのケーキは食べられないから、助けてくれないかしら?」

 直径20センチ以上あるだろうベリー系のケーキに、志保が真純を見て頼むと、喜んでと真純が了承する。

「この店、テレビでも紹介されたデパ地下で人気のお店だよ」

「そうなの?」

「うん、季節限定で、拘りのフルーツが売りなんだって」

 ボックスに貼られていた本日中にお召し上がりくださいのシールに印刷された店名を見て真純が指摘すると、高木さん達に無理させたかしらと志保が呟く。

「オレの扱いが酷くないか?」

「あら、そうかしら?ちゃんと工藤君の依頼も受けていると思うけど」

「それは感謝してるけどさ」

 一言でいえば面白くない。

 自分は意外と『宮野志保』について知らないと、思い知らされることが増えた。

『灰原哀』は、出会った時のことから全部わかっていたのに。

 コナンだった自分の思考を理解できるのは灰原だけだった。子供のフリをする気がまったくない哀の態度に「オイオイ」と思いながら、探偵団の子供達を気にかけていたのを知っている。

 自然に笑うようになって、新しい世界を見てほしいと願ったし、志保の価値を人から認められる様は嬉しいと思ったのも本当だ。

 それなのに、志保が自分以外の誰かの為に、睡眠時間を削って何かをしたと聞かされると、気持ちがざわついた。

 好きか嫌いか、の2択なら好きだと言える。だけど、恋人になりたいと思ったことがない。ただ、志保は自分にとって『特別』で、志保にとっても『特別』だと思っていた。

 側にいなくても、組織の影がちらつかないときなら、事件に巻き込まれてもさほど心配はしなかった。自分達の行方が途切れても哀なら痕跡に気が付くと思ったし、哀が巻き込まれたなら、何かしらのメッセージを残しているはずだと思えた。

 哀がコナンの手を握って不安に耐えるのは、黒の組織の影を感じた時だけ。あとは集団行動を面倒がって、「パス」と答えるのが珍しくなかった。

 蘭のことは側にいたら守ってやれると思っていた。だから、なるべく一緒にいるようにしていた。

 だけど、志保は守ってやるつもりが庇われていることも多かった。説明らしい説明もせず、「後は頼んだ」の一言で丸投げしても、志保ならどうにかするだろうと思ったし、実際何とかしてくれた。

 新一が当たり前のように出来るだろうと頼めば、こき使いすぎだと文句を言っても手伝てくれる。

 いつの間にやら、やたらスキルが増えているような気もしたが「宮野だし」と、出来て当然のように思っていた。

 そして、やはり誰よりも新一を一番にしてくれると、何の疑問ももたずに「宮野」と呼べば答えてくれると思っていた。

 だから、新一以外の人間の頼みを優先したのかと、自分には何の説明がなかったことも気に入らない。

 鞄を肩にかけて、志保から白いギフトボックスを受け取り、新一がゆっくりと歩く。

 警察に呼び出される回数は以前よりも減ったし、普段の志保はあまり新一とべったりいる印象がないので、本人の言葉どおり恋人ではないのだと蘭は思っていた。

 だが、こうして時折見せる二人にしか分からない言葉や空気感に、蘭は疎外感を覚える。

 一緒にいるはずなのに、新一にとって自分がその他大勢のように扱われているようで、不安になる。

 園子の方が、新一や志保が互いを『相棒』と呼ぶことの意味を理解していた。

 新一と同じ視点の高さと、違う分野での専門知識、信頼関係を築いていることは察せられる。

 だから、志保と自分を比べたり、競ったりしても意味はないと、蘭には言ってきた。

 今の工藤君に告白しても意味はない、改めて段階を踏まないと、独りよがりと思われてしまって、友人ですらいられなくなると。

「ねぇ、みんな。来週の土曜日予定あいてない?」

「なぁに、園子」

「うん、ツインタワーの空中庭園にあるスカイレストランでうちが主催するパーティーがあるんだけど、参加しない?」

「僕達は関係者じゃないのに良いのかい?」

「良いのよ。今度うちが出資する医療系の会社があって、その関係者が集まるの。今回のパーティーは芸能人とか来ないから皆も退屈だと思うんだけど、招待客は外国人が多いし、同年代の人間もいないから私も一人だと間がもたないし」

 鈴木財閥の関係者として参加しろと言われた以上、挨拶だけして帰る訳にもいかない。鈴木財閥がホストである以上、数時間は会場にいる必要があるが、高校生の園子では事業内容などわからないし、面識のある人間もほとんどいないパーティーは苦痛でしかない。

 せめて友人を呼んで、邪魔をしないスタンスでビュッフェを楽しむぐらいしか時間を潰しようがないと説明すると、蘭はすぐに了承した。真純は多分行けると思うと答える。新一は行っても良いと答え、志保は新一が行くなら嫌な予感しかしないと渋った。

 嫌そうに顔を顰める志保に、「相棒だろ?」と新一が拗ねたような口調でいえば、仕方がないと溜息をつく。

 衣装ならこちらで用意すると申し出た園子に、志保は少し首を傾げて思案するそぶりを見せると自分で用意できると断った。真純もセミフォーマルの装いで良いなら大丈夫だと言って、蘭の衣装だけ園子が用意することになった。

WILD FLOWER